早稲田教育学部・さとぼーさんの合格体験記

早稲田教育学部・さとぼーさんの合格体験記

ペンネーム

さとぼー

現役or何浪

一浪

高校

長野県立上野高校

早稲田の学部

教育学部

早稲田合格体験記

本気になるってこと

生まれて初めて出逢った「本気」に恋をしたのは高2の夏だった。

「大学に行きたいんじゃねえ、早稲田に行きたいんだ」
「諦めなければ、死ぬか成功するかだ」

それまでのどんな“憧れのヒーロー”よりも熱く熱く熱かったその演説、東京オリンピック招致決定以来の衝撃で鳥肌が立ったのを鮮明に覚えている。

それはYouTubeにアップされていた「早稲田王決定戦2014」という一本の動画であった。4人の参加者が“早稲田王”という称号のために、看板を破壊したり、ゲテモノを喰らったり、鎖に縛られたり、、、、
今まで自分の生きてきた世界には存在しなかったものばかりでとにかく意味不明だった笑。

しかし同時にこれ程までに学生たちを熱狂させる“早稲田”というものに俄然興味を抱いた。

それから毎日、早稲田について調べに調べまくった。

学生起業した人、ブログでめっちゃ稼いでる人、大学休学して世界一周した人、浪人して早稲田に行く人や、早稲田に入って留年しちゃった人、サークルに没頭する人、インターンに注力する人、もちろんバリバリのスポーツ選手もいた。

当時もっていたステレオタイプな大学生像は見事に打ち砕かれた。

早稲田にはいろんなバックグラウンドを持つ人がいて、ある意味ブッ飛んだ人もいて、でもそれを認め合える早稲田ってめっちゃいいなと思った。

自分のやりたいことは一人ひとり違う。授業なのか、サークルなのか、バイトや恋愛、インターンなのか。

自分のみた早大生は、誰もが自分のやりたいことを持っていた。

そしてそのために本気で行動していた。

みんな別々の方向を向いているのに、早稲田という大きな屋根の下にこれだけ個の強い学生が集まっているのがとても魅力的だった。

志望校が早稲田大学になった。

早大生になるために最初にやったことは「早大生になりきる」ことだった。

当時全く興味なかったJICA研修やLA研修といった意識高い系活動に積極的に参加し、早稲田主催の地域フォーラムや早稲田祭にも参加した。

当時夢も目標もなかった自分と自分のやりたいことを本気でやる早大生とのギャップを埋めたいと必死だった。

たぶん「何者」かになりたかったのだと思う。

高3になる頃、早大生になるため自分に最も必要な力に気づいた。

学力である。当たり前だが早稲田に入るには入学試験を突破する必要がある。また言うまでもなく早稲田は慶應と並び私学の雄(遊?)と称される難関私立大学である。

当時、地方にある某進学校の底辺をさまよっていた自分にとって早稲田は夢のまた夢のような存在だった。気づくのが遅かった、、、笑。アタマが悪すぎる笑。

それからすぐ部活を辞め、勉強だけに注力することした。

しかし高校入学以来、ろくな勉強をしてこなかったせいで、何が分からないのかも分からない、何から始めれば良いのかも分からない、といった状況になった。

身の丈(今の学力)に合わない参考書を購入し、何も収穫のない日々を過ごす毎日が続いた。

受験生は「8割分かるものから始め段階的にムズイものへ」というようにやるのがオススメです!

こうしてあっという間に一年が過ぎ、入試の季節を迎えた。

センター利用2校(早稲田以外)と早稲田5学部という身の程知らずな日程を組んだ。

もし早稲田以外の大学が受かった時、親に行かされると思ったから浪人覚悟で受けないことに決めた。

結果、見事に全落ちした笑。

必然的に浪人することになった。浪人する前の3月あまりに暇すぎて京都にある寺に修行体験にいった。

3泊4日、ひたすら坐禅を組みながらこの一年を振り返り次の一年の覚悟を決めた。

後々この経験が役に立つことになる。

浪人し始めた前期は絶好調だった。

知らない知識を得られる喜びに溢れ、成績も良く、メンタル的にも「どこまで自分が強くなれるんだ!?」と舞い上がっていた。

浪人してわかった受験生のポイントは「“その日気分で”は少なくする」こと!時刻・服装・場所をルーティン化して選択回数を減らし勉強に集中すべし!

しかし早稲田のためだけに続けてきた勉強がキツくなってきたのは秋口からだった。成績が頭打ちになり伸び悩み、模試の判定も徐々に下降していった。

そんな中でも早稲田の赤本に毎日取り組み、早稲田に受かる根拠を求め続けた。

早稲田の問題は本当に難しいけど、真摯に勉強してれば解ける問題がちゃんとあるから、“早稲田大学”って名前にビビらず楽しんでやってくれ!

そして2年目となる入試の冬を迎えた。

今年もセンター・早稲田以外の私大には重きを置かず、早稲田5学部を受験した。重視はしていなかったがセンターと他の私大で失敗し、「もう一年」という言葉がアタマの中を過ぎる日々を過ごした2月は毎日坐禅を組んでいた。

早稲田の入試で100パーの力を発揮するために必死だった。受験生は「自分なりの落ち着け方を本番までに見つけよう」。ちなみに坐禅とVoicyはオススメです!

手応えは一つの学部もなかった。「浪人してもこんなもんなのか」と思った。でも一年前のそれとは違う、「やりきった」という気持ちはあった。

すぐ合格発表の日にちになった。

「残念ながら不合格です」を去年5回も聞いたから電話でかけるのは怖すぎて出来なかった。正午にネットで発表があったが怖くて見れず、夜になって親に言われてやっとみる覚悟を決めた。

あった。何度確かめても自分の番号だったが信じられなかった。

念のため電話をかけてみても「おめでとうございます、合格です」と去年とは違う祝福の言葉が聞こえた。俺が早稲田?、、、夢のようだった。

しかしここで終わらなかった。早稲田は最後まで魅せてくれた。

ダラダラした生活を送っていたので昼に起床し、親に早稲田から郵便が届いたと告げられた。

すでに受かっていた学部の入学手続き資料だと思い郵便を開ける。

目の前には「早稲田大学教育学部補欠合格」の文字があった。

「早稲田…教育……補欠??」
「受かったぁぁぁぁあああああーー!!本キャァァァアアンンンンー!!!」

4月、気づけば大隈講堂で紺碧の空と校歌を歌い、早稲田の一員となっていた。キャンパスを埋め尽くす人の眺めと新歓のビラの山に初めて実感が湧いてきた。

受験をきっかけに早稲田に教えてもらったことは沢山ある。

なかでも“言い訳の上手い人は受からない”という言葉は一番の学びです。受験生それぞれにうまくいかないとこと、苦しい時期はあると思う。教師のせいにしたり、周りのせいにしたり、環境のせいにしたり、、、挙げればきりがない。

でもそれを言い訳にしてずっと逃げているようじゃ早稲田は振り向いてくれないし、そもそも言い訳してる時点でその夢は「本気」ではないから叶いません。

全部力に変えて、真摯に勉強して、早稲田に受かって!来年早稲田で一緒に紺碧の空と校歌を歌おう!早稲田で待っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

自由なサラリーマンになる為のライフハック情報を発信中。 受験ブログが受験ブログランキング1位になり著書『引きニートコミュ障、偏差値28から早稲田に行く』を出版。 LINEスタンプ『お寿司ですが何か?』『意識低い系キリン』なども発売中。

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