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早稲田大学社会科学部・遠藤 伶さんの合格体験記
名前
遠藤 伶
現役or何浪
1浪
高校
鳥取県立鳥取西高校
早稲田の学部
社会科学部
早稲田合格体験記
「ぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺す」
忘れもしない2017年2月22日。
英単語でもない。古語でもない。
普段発したことがない常軌を逸した言葉を唱えながら、私は早稲田大学キャンパス内を歩き最終決戦となる社会科学部の受験会場へ向かっていた。
浪人の身ながら滑り止めの大学にも全て落ちこの時点で受かった大学はない。
センター試験の科目登録も間違えていたため最後の砦、国公立受験すらも後にはない。自分の目の前に描いた未来がみるみる薄らいでゆく。
こういうときには、死にたいという情が生まれるのが世の理なのかもしれない。
しかし、死ぬ気すらも起きないのだ。
目の前に手を伸ばしても空虚な空間が広がり、後ろを振り返れば自分のやってきたことを否定する大衆の顔がおぼろげに浮かぶ。
この一年で全てを出し切った自信があったからこそ、翌年以降にやる術を見出せず生きる希望がないのだ。本当に合格できるのか二浪なのかジャニーズにもう一度履歴書を送り直すか死しかないのか。
誰かに体を一押しされようもんならどの方面にも転がりそうな混沌の境地に立っていた。
早稲田大学に入学し一年と半分が経った今、当時を回顧してみてもやはり、ラリっている。
*ここから何の変哲もないサイドストーリーがおじゃる丸1話分くらい続くので、最後まで飛ばすことを大推薦します。
早稲田への天命
そもそも私が早稲田を選んだのは青天の霹靂としか言いようがない。
私は世に抗いたい人間であるため、世間が騒ぎ立てるものをとりあえず否定しようという性格がある。
そのため信教的なものも当然嘲笑ってきた。しかし、高校3年の1月、センター試験まで1週間を切ったある放課後だ。勉強が億劫になったため、ふと誰もいなくなった教室の教壇に立ち、おもむろに教室を眺めていた。
その時、ある言葉が突然全身を突き刺す。
「早稲田に行け」。
そもそも高校時代、野球しかやってこなかったため偏差値は3年の10月を過ぎても40もない。
だいたい鳥取の県立高校生に東京私立の情報など入ってこない。
ただ早稲田と慶應はどえらいとこくらいしかわからなっかったから、より遠い存在に感じ、心の距離としては雲どころか大気圏を突破し銀河にあった。
だが、次の瞬間私は紛れもなく口をたてに開け「はい」と答えたのだった。
本当に私は何かの信仰家でもないし、薬もやっていないがこれは紛れもない事実であり、今でもなぜだかわからない。
そこからは当然勉強のモチベーションは急転直下。
センターよりもでんぱ組.incになったため、センター試験も程よく玉砕。
500あるかないかで名前の響きだけで選んだ横国に突撃し、何事もなく鳥取に帰ってきた。当時、東京にいる金髪ショートは全員“最上もが”なのではないかと思っていた。
そのためもがちゃんに会おうと第一金髪人を見つけるやいなや走り出し、前方から拝ませてもらったが目の前にいたのは樹木希林さんのような熟しきった容姿。
東京の洗礼を浴びたことを今でも覚えている。この経験の方が先に出てくるほど、現役時の受験の記憶はない。
孤の闘い
そしてここから鳥取の東進衛生予備校での浪人時代が始まったのだ。まず、自分がやったことは、積極的に自分の志望校を公言することだ。
自分から退路を消していった。
もちろん、学年の学力下層部隊であった現役時代を知る友人たちは、「すごいじゃん!頑張って!!」と声をかけるものの、そう言い捨て去っていく背中はいつも笑っている。
だが、これが逆に私の原動力そのものとなり、常に気持ちは前を向いていた。
むしろそう思われた方が無駄なプレッシャーがかからず好都合だったのかもしれない。明確な理由は今考えればないが、絶対に行きたいという気持ちだけはある。
では、どう行動するか。自分の世界をとにかく作った。
勉強は基本一人でするもの。
人との会話をしながら勉強すると会話に力が削がれ、一人でやるときの半分の最大火力しか生まれない。決して他者の介入を許さない空間。
自分の領域に入ってくるなという空気を全身で出した。
その結果、友達が林修しかいなくなった。
中途半端なところで区切りをつけるのも大きな学びロスになると確信したので、ご飯を人と食べたこともない。
その溜まったものを週5でいった一人カラオケと週2のジムにぶつける。しかし、それでは十分でなかったのだろう。
食生活はご飯のおともにデスソースが必須となり、時には国宝にもなっている仁風閣の側の公園で上裸になり吠えもした。よく補導されなかったと思う。
行動はさておき勉強はしているし、科目も絞っている分、着実に点数は上がっていた。
理想には遠いものの確実な成長が自信へと変わっていく。
模試の成績もAこそとったことはないが、B判は出るし希望は見えてきた。
突如現れたうたかたの志望校が視中の遠方に存在するものとなっていく。そんなこんなで思い出も何もない日々が過ぎついに2月を迎えた。
早慶射程圏内レベルまできた私は、調子に乗り、滑り止めを明治とし、早稲田以外の大学の過去問をあまりしないまま戦地東京へと飛んだ。
予期せぬ失落
まず、開幕戦は上智だった。
できた。ふつーにできた。
やっぱり、自分がやってきたことは間違いないんだと自分に酔う。
宿泊先が鳥取県の学生が生活を共にする県人寮だったこともあり、旧友と夜な夜な語り、これ以上英文読んでも意味ねえしと唄い勉強を二の次にし、これまでとは異様な生活を数日送った。
この先の行く末も知らずに。
その後も初戦ほどの手応えはないものの、まあ受かっただろと感じる程度に試験が終わっていく。
そして初戦から一週間が経ったくらいだろうか。
早稲田大学もようやく文化構想学部を初陣に添え試験が幕を切ったころ、上智の合格発表を迎える。自分のできを疑うはずもないため、特に緊張もせず自分の番号を入力する。
すると目に飛び込んできたのは、「不合格」の通知だった。この瞬間世界が変わった。今まで見てきた色彩まだらな景色がどんどんモノトーン色に近づいていく。
一気に自信を失った。
もう受験も折り返しに差し掛かっているが、明日を迎えるのが突然怖くなった。
ただこみ上げてくるのは自分を過剰に慢心していた自分への苛立ち。
そんな舐めきった心で受けていた他の試験の結果がどうなったかは言わずもがなだろう。
挙げ句の果てに、最悪ここは大丈夫と親に言い聞かせて出てきた明治大学も滑った。
言葉を失った。
残る試験はあと5つ。早稲田大学5連戦だ。
何が今の自分にできるのか問い続けた。
それが決戦を目前とした2月17日の夜だった。
「生」の決意
人は結果を追い求めるがあまり、他者さえも結果で判断したがる。
そのため結果が出なかった時にはその人がどういう生活を送ってきたかを知ろうともせずその過去を否定する。
しかし、一番自分のことを知っているのは誰だろうか。
―自分だー。
では、自分は早稲田合格相応の勉強をやってきていないのか。
―ちょっとサボった日もあったが友達がいなくなる程度にやってきたー。
それならば自信を失うべきなのか。
―いや、自信を持つしかないー。
これが運命の5連戦を直前に控えた、自分の出した答えだった。
全てを否定しかけていた自分をなんとか肯定することができたのだ。それからの約一週間、半ばトランス状態で勉強をし続けた。
寝る前も起きてもご飯を食べていても勉強を頭から離すことができなくなった。
溺れ死ぬかもしれない時に全力で水面に向かい足掻いている、そんな感覚だったのかもしれない。自分の中で生きる=合格の式が成立する。
私は来年を、未来を生きるために生きるためのことをした。
不思議なことに極限の域に達した時、一切疲れを感じなかった。
苟も第一志望だった社会科学部の試験が私の受験最終日であったため、「生きたい」と思った末に出続けた言葉が、「ぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺す」だったのだろう。
激闘の受験最終週が終わったその日、不思議にマークシートを塗りたくった右手には今まで感じたことのない達成感が残っていた。
運命の日
全ての試験が終わり、早稲田の合否も次々に発表されていく。
文構は散った、政経も散った、人科、スポ科も玉砕した。
あれよあれよと残すはついに受験失敗完全制覇がかかった社会科学部の合格発表日。
あの日はうちの家族が皆仕事を早めに終えて家に帰り、不穏な空気を私よりも醸し出し私が帰るのを待っていた。
帰宅するやいなや、鳥取はまだ寒かったので出ていたこたつの真ん中にスマホを置けと言われ、全員でそれを囲む。
これで不合格が鳴り響こうもんなら一家心中をすることになるだろう未来は簡単に予想できた。間違えれば爆発する時限爆弾のロックを解除するときのような慎重な手つきで自分の受験番号を入力。
そして、生きるか死ぬかの暗唱番号の最後の数字を8秒かけて押す。あの時間ほど人生で長い時間はないのではないかそう思う。
わずかな沈黙の後、いつもよりも半音高い電子音が響く。
「おめでとうございます。合格です。」遠藤家が吠えた。
揺れた。泣いた。おそらく鳥取県くらいなら揺れただろうから故郷共々揺れた。
感動で何もできないという人を冷めた目で見てきた人間だったが、それから2時間本当に全身の震えが止まらず生活に支障しか出なかった。
私にとって初めて「生」を実感した時だったのかもしれない。
覇者への道
受験勉強の方法をよく聞かれるし、自分も聞いてきた。
今は未曾有の情報社会であるゆえ、ネットにも本にもあらゆるところに勉強方や教材がひしめいている。
私はそれらの恩着せがましい勉強法をある意味で否定したい。なぜなら、それらは大衆に比較的適し、効率の良い勉強法ではあるかもしれないが、あなたにとって最善の勉強方法ではないからだ。
だから、勉強法を聞く前に、まずは自分のことをわかり自分がどういう勉強が特に集中してできて、どういう勉強が苦手かを考えなければならない。
それからざっくばらんに満ち溢れている勉強法を可能な限りやってみて、自分に適していると感じた勉強を掛け合わせ実践する。
(例)私は、暗記が小さい頃から好きだったから、日本史だとその日学んだ授業を帰り道に自転車を漕ぎながら何も見ずに一人授業をし、それが終わるまで何時間でも自転車を漕ぎ続けた。
不思議と大学受験で成功した人の多くは自分の勉強法を持っている。
覇者のその先
そして何より大切なこととして私は、「受験を人生の楽しみ方を知る勉強」だと考えて欲しい。
受験を人生に置き換えて考えてみたい。
受験勉強では、目的を志望校合格に設定し、目標の点数を決め、そこに至るプランを逆算し、あらゆる手段を用いてその目的に近付こうとする。
これは人生と全く同じではないだろうか。
自分の人生の目的を果たすために、夢=目標として設定し、それを叶えるために日々精進しようと励む。
そして、実際に自分がその目指すべきものに近づいたと感じた時、すなわち自分が成長した時に人は生きている楽しさを実感する。
ドラクエやFFなどのRPGがウケるのは、人がもっとも喜び、楽しみを感じるのは成長してできなかったものができるようになった瞬間であり、それが紆余曲折ある物語を通してわかりやすく感じられるからだと思う。
だから、受験で成長する自分をRPGの主人公だと捉え、自分だけの物語を全クリして欲しい。そして、大学、社会人へ進み、受験ではない自分の生きる目的を見据えた大きすぎる世界の中で、点数が上がったとき、自分が成長した時の喜びを忘れずレベルアップを続けて欲しい。
それが一番できる環境が間違いなく「早稲田大学」だと私はこの一年半で確信した。
何にせよ本当に心から求めている=そのための行動しているなら成功しか道はない。
追い求めている自分に絶対的な自信を持ち、日々成長を止まない自分を世界の誰よりも愛し、笑顔で今を楽しんでください。
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