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目標に生きるのか生かされるのか
僕は二浪して都の西北にある早稲田という大学に入学した。
僕は二浪して大学に入学しました。
二浪中、たしかに辛かった。
いやあ、とても辛かった、まーじ辛かった笑笑
でも「早稲田に入学する」という明確な目標があったので
自分の中で辛さはあったが同時に確固たる充足感がありました。
しかし、晴れて二浪の末に早稲田に入れた西江青年だが、入学早々常に虚無感に襲われていたんです!
中二病なのか!?俺のこの虚無感はなんなんだ!!!!!!!!
サークル活動に勤しみ、好きな事を存分にしているのに。
「なんかこのままで良いのか俺!?」という思考が僕の頭の中を常に無限ループ。。。
というのも、
「俺はこれからどこに向かっているんだろう」
って何をやっている最中もその事が頭をよぎっていて不安で仕方なかった。
今思えば、「早稲田に入学する」という明確な目標が無くなって
いきなりはい!自由だよー!って言われて
どうしようどうしよう!?ってキョロ充になっていたんです。
高校時代厳しめの部活をやっていた人もこの現象に飲み込まれてしまうことってあるあるですよね!?ね!?あるあるって言って!!!お願いだから!ねえ!!!?
そんな僕は大学生の自由過ぎる時間の使い方に不安を抱いてしまった。
そこからは自分のやりたい事を書き殴った結果、自分は誰かのレールの上を歩くのが嫌だというとても面倒で社会不適合者だという事が判明したんです。
ここからはもう本当に大変で、入っていた3つのサークルに(入り過ぎや俺!)いきなり顔を出さなくなり、自分でサークルを立ち上げました。
そこからはまあ話せば長くなる苦難があったのですが、周りの人の協力もあって数百人を超える大所帯になるくらいにまで成長。
引退するまでは充足感に包まれていたのですが、引退してからは就活くらいしか大きなイベントしかないのでマジで自分がどこに向かっているのか病が再発しました笑
素直に受け入れる
でも、きっとこの感情って常に付きまとうというんじゃねーかっていう神の境地が如く結論に至る大学生時代の僕。
少し大人になって、最近はそれが当たり前だ、という少し達観した感情で受け止められています。
自分がどちらかといえば何か新しい事に挑戦したい人だっていう自覚があるから
その感情の裏返しだと気付いたからです。
虚無感がある人って自分がやりたいことを内に秘めているけど、そのやりたいことが自覚出来るまで表面化せずに自分自身で自分がわからなくなっちゃうんですよね。
もうね、僕25歳なんですよ。
歳取ったなあと思いつつあなたもすぐですよ。25歳。
でも、悪くないですよ25歳。
そしてもう25歳だけど、まだ25歳。
漢文で40歳の事を不惑って言いますが、「四十にして惑わず」の通り、
40歳になってはじめて迷いがなくなるんだそうです。
でも、やりたいことが尽きない人は40歳になっても不惑なんて来ないんだろうなって思いますけど。笑
やりたいことが多すぎて焦っているいる毎日です。
大学生になったばかりの僕にいってやりたい
「お前今そんなにやりたいこと無いかもだけど、大人にになったお前は死ぬほどやりたいことあるぞ焦るなよ」
って。
↓虚無感を感じている大学生はやりたくない事をスッパリ切ろう!
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